前の回では、誤り訂正の競争を見ました。今回は反対側からの話です。そもそも量子でなければ解けないのか。
この夏、その問いに正面から答える研究が続きました。
ノートPCで1分
いちばん直接的だったのが77量子ビットの量子化学実験を古典で再現した研究です。
量子化学で広く使われる単層ユニタリークラスターJastrow回路のエネルギーを、多項式時間で計算できる古典アルゴリズムが見つかりました。これにより、スーパーコンピュータ富岳を使った77量子ビットの実験が、ノートPCで1分未満に再現されています。しかも回路の最適化によって、元の実験より低いエネルギーまで出しました。
研究チーム自身が、これを量子優位性の主張に対する検証と位置づけています。
「今はできない」と「原理的に無理」
否定にも種類があります。ここが今回の要点です。
上の再現は「やってみたら古典でもできた」という型でした。いっぽう電力潮流計算の研究は違います。
現実の電力網が持つ構造的な性質から、サセプタンス行列の条件数が多項式的・二次的に増大することを証明し、優位性が成立しないことを示したものです。しかも証明全体にLean 4による形式検証が付いています。
「今はできない」ではなく「原理的に無理」という主張です。この2つは、受け取る重みがまったく違います。
古典の道具そのものも強くなった
SymFTは、少量の非クリフォード演算を含む耐障害性量子回路を高速にシミュレートするツールで、業界標準のStimを2.5倍以上上回るサンプリング性能を出したとしています。
古典で真似できる範囲が広がると、量子でしかできないと言える範囲は狭まります。ただし誤解のないように言えば、これは誤り訂正の研究を支える道具でもあります。前の回で見たデコーダの開発には、こういう古典側のツールが要ります。
過去の記事を読み直す
こうした変化は、以前の記事の読み方も変えます。当サイトが以前に伝えた量子化学の成果にも、訂正すべき誤りは無いものの、読み方が変わったものがあります。
量子と古典を組み合わせた計算では、どこまでが量子でどこからが古典なのかを分けて見る。そして量子の担当部分についても「古典で再現できないか」という問いが立てられるようになった。半年前には、その問いを立てる手立て自体が十分ではありませんでした。
悪いことではない
対談でも触れましたが、追いつかれること自体は分野にとって健全です。
量子優位性の主張は、これまで反証されにくい形で出されることが多くありました。そこに具体的にアルゴリズムを見つけて再現してみせる研究が出た。主張が検証にさらされる状態になったという意味では前進です。
そして、できないことがはっきりすれば、できることに資源を集められます。
次の回
技術の話が続きました。次の回では、お金と工場の話をします。この夏、量子業界で買われていたのは技術ではありませんでした。


