「量子コンピュータは、普通のパソコンよりずっと速いらしい」と聞いたことがあるかもしれません。でも、なぜ速いのか、そもそも何が違うのかは、意外と説明しづらいものです。この連載では、そんな量子コンピュータの仕組みと今を、少しずつ解き明かしていきます。第1回の今回は、いちばん根っこの疑問に答えます。量子コンピュータとは、いったい何なのでしょうか。
普通のコンピュータは、情報を「0」か「1」のどちらかで表します。この最小単位を「ビット」と呼びます。スイッチのオンとオフのように、どんな複雑な計算も、この0と1の組み合わせに分解して処理しています。皆さんが使うスマホもパソコンも、原理はすべてこのビットの上に成り立っています。
一方、量子コンピュータが使う情報の単位は「量子ビット」と呼ばれます。量子ビットは、0と1のどちらか一方ではなく、0でもあり1でもあるという状態を同時に持てます。これを「重ね合わせ」と呼びます。コインを回転させている最中は表とも裏とも決まっていない、というたとえが近いです。ただし、実際には測定した瞬間にどちらかの値に定まる、という点まで含めて正確に理解する必要があります。
さらに量子ビット同士は「もつれ」と呼ばれる特殊な結びつきを持てます。一方の量子ビットの状態を測ると、離れた場所にあるもう一方の状態も瞬時に決まる、という不思議な性質です。この重ね合わせともつれを組み合わせることで、量子コンピュータは膨大な数の可能性を同時に扱えます。普通のコンピュータは一つずつ順番に答えを試します。これに対し、量子コンピュータは多くの可能性を並行して探れる、というのが速さの理由の一つです。
ただし、量子コンピュータは何でも速くできる万能マシンではありません。得意なのは特定の種類の計算です。組み合わせが爆発的に増える最適化問題や、分子の振る舞いを再現する化学シミュレーションなどがそれにあたります。逆に、普段の文書作成やネット閲覧のような作業では、普通のコンピュータの方が向いています。何のために作られているのでしょうか。普通のコンピュータでは時間がかかりすぎる計算を、現実的な時間で解くためです。
量子ビットを実際に作る方法にはいくつかの方式があります。電荷を帯びた原子を電場で空中に浮かせて閉じ込める「イオントラップ方式」はその代表格です。この方式では、イオンのエネルギー状態を情報として利用します。最近では、イオンより軽い電子そのものを閉じ込めて使う研究も進んでいます。1枚のプリント基板で電子を捕捉する新型RFトラップの研究が進められています。この研究では、電子を使えば原理的にもっと高速な操作ができると期待されています。どの方式が最終的な主流になるかは、そこはまだ分かっていません。
こうした量子ビットの性質は、まだ発展途上の技術です。現在の量子コンピュータは、ノイズに弱く、計算結果に誤りが混ざりやすいという課題を抱えています。それでも、実機を使った研究は着実に進んでいます。Quantinuum社のH2-2という実機を使い、波動方程式を数千次元規模で解いた実証実験が行われました。この実験では、物理的に意味のある計算結果を高い精度で得られることが示されました。理論だけでなく、実際のハードウェアで成果を出す段階に入りつつあります。
そして今、量子コンピュータは研究室の実験装置から、実際に使われる道具へと変わりつつあります。IQMとDeutsche Bahnが行った鉄道スケジューリングの共同研究が行われました。この研究では、実際の運行データを使い、量子プロセッサ上で列車の運用計画を最適化する実験が行われました。こうした事例からは、あるひとつの変化が見えてきます。量子コンピュータが「いつか役立つ技術」から「今すぐ試せる技術」へと変わってきたことです。同時に、クラウド経由で使える量子コンピュータを性能と価格の両面から比べる新しい指標も提案されています。これにより、どの機種を選ぶかという実務的な判断も始まっています。
普通のコンピュータと何が違うのか。量子ビットが重ね合わせともつれという性質を持ち、特定の計算を大幅に速くできる可能性がある、という点です。何のために作られているのか。普通のコンピュータでは手に負えない計算を解くためです。次回以降は、こうした仕組みや実例を、もう少し掘り下げて見ていきます。

