量子コンピュータは、答えを覗きながら計算を進めているわけではない、と聞いたことがあるかもしれません。むしろ、覗いた瞬間に答えが決まってしまう、という言い方の方が近いです。では、なぜ途中経過を見てはいけないのでしょうか。今回は、この「測定すると壊れる」という性質の中身と、それが装置の設計にどう響いているのかを見ていきます。
量子ビットは、0と1が同時に重なり合った「重ね合わせ」という状態を取れます。この重ね合わせこそが、量子コンピュータの計算力の源です。ところが、この状態に対して測定という行為をすると、重なりは消えてしまいます。結果として、0か1のどちらか一方に定まってしまいます。これは観測する側の技術が未熟だからではありません。重ね合わせという状態そのものが、測定という操作によって0か1かの情報に置き換わってしまうのです。これは自然の性質です。ノートに書いた鉛筆の下書きを、消しゴムでなぞって確定させるようなものだと考えると分かりやすいです。ただし、これはあくまでたとえです。実際には、消えるのは下書きの線ではなく、複数の可能性が同時に存在していたという状態そのものです。
さらに厄介なのが「もつれ」という関係です。2個以上の量子ビットが切り離せない形で結びつくことがあります。片方を測れば、もう片方の状態も同時に決まってしまいます。量子ゲートと量子回路についての解説記事でも触れられている通りです。このもつれをどう作り、どう使うかが計算力の多くを左右します。つまり、量子コンピュータの計算というのは、複数の量子ビットをもつれさせる作業です。それを重ね合わせを保ったまま進めます。そして、計算の最後に初めて測定して、答えを取り出すという手順を踏みます。
ここで素朴な疑問が浮かびます。途中でちょっと覗いて、うまくいっているか確認できないのでしょうか。答えは「できない」です。覗いた瞬間に重ね合わせが崩れ、それ以降の計算がやり直しになってしまうからです。1回の測定では確率的な結果しか出ません。そのため、同じ回路を何度も繰り返し実行して、統計的に答えを浮かび上がらせる必要があります。これが、量子コンピュータが「1回で答えが出るパソコン」とは違う理由の一つです。
この「覗けない」という性質は、設計にも大きく効いてきます。誤りが起きていないか知りたくても、量子ビットの状態を直接確認できないからです。そこで考え出されたのが、別の量子ビットを使って間接的に誤りの兆候だけを読み取る、という工夫です。omgアーキテクチャの研究では、一種類のイオンの中で役割を分けます。片方のビットの情報を壊さずに、もう片方を経由して状態を読み出す方法が示されました。これは、まさに「本人を覗かずに、隣にいる証人から様子を聞く」という発想です。この発想があるからこそ、誤り訂正のための情報を、計算対象を壊さずに取り出せるのです。
さらに、この読み出し自体の速さも重要な課題になっています。中性原子アレイでの高速非破壊読み出しの研究があります。この研究では、原子を失わずに状態を読み取る操作が、装置全体の速さを制限してきたことが指摘されています。光を当てすぎると原子が逃げてしまうため、必要な光の量と原子を守ることの間にジレンマがあったからです。この研究では、光を数え続けながら状態が分かった原子には即座に保護をかける方式が提案されました。これにより、誤りの兆候を読み取る操作を高速に行えるようになりました。読み出しが速くなればなるほど、誤り訂正を挟んだ計算のサイクル全体も速く回せるようになります。
こうした「壊さずに覗く」技術への投資は、業界のあちこちで進んでいます。Diraqのシカゴ研究拠点開設に関する記事があります。この記事でも、シリコンスピン量子ビットの特性評価を進める体制づくりが紹介されています。量子ビットの状態を正確に見極める技術は、方式が違っても共通して必要とされる基盤技術だと分かります。測定という行為の難しさが、あらゆる方式の設計に影響を与えているのです。
測定すると重ね合わせが崩れてしまうため、計算の途中を覗くことはできません。だからこそ、壊さずに誤りの兆候だけを読み取る技術が、量子コンピュータの設計の核心になっています。次回は、そもそも量子コンピュータはなぜ速いのかを見ていきます。何でも速くなるわけではなく、差がつく問題には条件があります。

